おわあ、こんばんは

高校教員(英語)の日々 転職?続投?

何か吐き出さずにはいられない

ブログ放置しておそらく二年だと思いますが、その間に色々ありました。

 

  • 2017年、大阪から地元へ帰り、高校で期限付き講師をする
  • 早速その夏に教員採用試験合格
  • 今年度より新規採用で正規の教員として働くことに

 

おや人生順調じゃない、と側から見たら思うかもしれませんが、心中そうでもない。

 

  1. やりがいを感じない
  2. 教員の働き方がやはりおかしい(しかも多数が迎合しているような)
  3. 優秀でもなんでもなく、ただ試験に受かりさえすれば、あとは流されて公僕としてのらくら成長もせず安定して給料もらえればいい、効率性皆無、みたいな教員がちらほらいる

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学校によるかもしれません。しかしだいたいの授業などではやりがいを感じない。

分掌業務でも一年目なので大した仕事もなく、なんだかとにかく消化試合。

たまに楽しいのが発展レベルの課外の担当の時。

 

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20、21時まで残っている人がざらです。おかしい。

みんな何をやっているんだろう…。

かくいう自分は仕事は少なめのはずなので、ささっとこなしてほぼいつも定時で帰っています。

定時後まで会議とかが長引くと、非常に機嫌が悪くなるくらい定時に慣れきってます。

 

部活の話はまた別の話ですが、強い部活はテスト期間だって御構い無しに練習をするし(一応原則禁止です)、週1の休みだってあるか怪しいです。部活のあり方も、やはりおかしい。

 

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公務員のメリット?として、よほどの事をしでかさなければクビにならない、というのがありますが、それに甘んじて成長をしない、してなさそうな教員がいます。

見ていてこちらもモチベーションが下がるのと、同じ給料をもらうのか、と嫌になりますね。

もちろん優秀な人はいますが。

 

あと先ほどの働き方にも通じますが、効率を追い求めない教員が多いこと多いこと。

人の時間を奪っている、という意識もなくだらだら会議中に発言したり、単純だが時間がかかる事を少しでも早く終わらせようとしたりしない、そういう人間があまりにも多いです。同じ人間でしょうか。

自分の私生活や体調が何よりも大事な自分には、全く理解できない感覚です。

 

 

授業だけならともかく、総合的に見て教員って向いてないんじゃない?

と思うようになってきました。

授業は、別に嫌いじゃないです。ってか嫌いならやっていけないし。

2、3年前は夢見た理想の職業だと思ったのですが、他を見る事から逃げただけだったのか、と愕然としています。

まだ正規1年目ですので、結論はまだわかりませんが、確実に働き方は自分の考えとは合いません。

まぁ自分の働き方に関する意識は最近変わったんですけどね(メンタリストDaiGoさんの動画を色々見て)。

 

しかしデメリットもあればメリットもあります。

今後ブログで思考整理ついでに色々書いていこうと思います。

朝活3日目

 今日は久しぶりに天気が悪いですね。まぁ気温も高いし、用事がないのでいいんだけれど。

 

 今優雅に朝マックをしてMacを叩いているところ。五時起き三日目だよ〜。

 ここ1年のうち半分以上は大学生にとって「早い」と言える時間に起きれていなかったような気がする。バイトも夕方からだし、授業もそんなにないわで、しかもあまり目標も持たず過ごしてた時期も多かったから、引きこもりがちの私がそうなるのも当然かという感じ。

 おととい、たまたま五時に目が覚めてしまってそれからモーニングをしに行ったら「案外いいんじゃないのかこれ」と思って、続けています。五時に起きる癖はついたみたい(今日はアラームの前に起きた)

 

 でも眠い。眠いんだ。勉強や知的作業をやるのには向いてないぐらいダル眠い…。頭がしゃっきりするためには、この生活に慣れないといけないのかな。10日ほど続けられればいいみたいに描いてある記事を見たが、これを10日かぁと思うと気が重い。

 まず早起きとセットなのが、この朝かふぇ。部屋はごちゃごちゃしているから気がいろんなものに逸れるし、絶対午前のうちに布団に逆戻りしてしまう。朝ごはん食べてから来て、飲み物だけ飲むようにしようか…節約…。

 初日に行ったコーヒー屋さんのモーニングが美味しくて、2日通って2000円使ってしまっているので、金のかかる早起きだなぁという感じです。いや実際そこまでしてでも朝型人間にはなりたいんですけど。

 

 去年は年明けから朝六時に起きてウォーキングやジョギングをするという健康的なことを1ヶ月以上続けていたけど扁桃腺炎で体調を崩してからはぱったりとやめてしまった…。あれが続けられていれば良かったのに…。その時住んでいたところがベッドタウンみたいなところで、運動に適した環境だった。アクセスは悪いけどちょっと惜しい。

 

 惰眠をむさぼるのは脳が一時的に得る「快」…後悔は続く「不快」

 

 早起きは一時的な「不快」…長いスパンで見た「快」…

 

 これを念頭に置いてしばらくチャレンジ…痩せたいしね

口頭試問を終えて

 諮問と思ってたけど、試問なんだね…ああ

 

 

 先ほど卒業論文の試問を終えてきた。ムラはあるけど3年間まるまるやってた卒論テーマとようやくお別れ。正直飽きていた。しかし自分が専念できそうなテーマがそれしかなかったから、変更もせずに消化試合のようにダラダラと続けてやっと完成させた。完成と呼べるのかも自分としては怪しいが、破綻した内容でもないのである程度認められたものになった(と信じたい)。

 

 質問されたこと、言われたこと

・自分の論文のこれは優れている、是非見て欲しいと言える点

・教員養成についての研究が少ないのはなぜ

・例えばアメリカはPISAの結果なんて気にしてないけど、そういうギャップはどこから来るの

  「アメリカは知的な人だけが知的なことしてりゃいいんだよってとこあるよね」

・自分の持つ学力観(教育関連の卒論なので

学力低下のファクターを一つに求めすぎなのでは

・州の権力の低下がよく言われているけど、どうなの

・個々の章の有機的関連が薄いね

 

 

 ざっと以上のようなことを言われながらしどろもどろに答えていたらあっという間の30分でした。もう少し別のところを聞いて欲しかったんだけどなぁ。

 

 「こんなものか…」と思いつつ部屋を出てその付近でコートを着込んでいたら、3年間お世話になったゼミの教授がこちらに駆け寄ってきた。「卒業式に来られないから、なかなか会う機会はないと思いますが、お元気で。今のご時世メールでいつでも繋がれますから、何かあったら連絡をください」というようなことをおっしゃってくださった。自分は「優しく指導してくださってありがとうございます…こんなメンタルボロボロのやつに…」などと言ったなんとも情けないお返事と深い礼しかできなかった。いろいろなことが頭を駆け巡ったけれども、言う必要もないし。しかしその”いろいろ”は案外深かったらしく、教授が慌ててまた試問の部屋へ帰っていた後はぐ、っと涙がこみ上げてきた。

 

 ここで一つバックグランドを語っておく。高校時代は大学での勉学に夢見て、あわよくば研究者になれるぐらいに勉強したいと思い一心にガリ勉をして、見事今の大学に合格。しかし大学とは魔窟であり(選択してしまった環境、コミュニティが良くなかった場合)、見事な世に言う自堕落大学生になってしまった(自分基準なので、底辺ではない)。勉学への励みへはムラがあり、継続してやっていたことなんてない。爛れた色恋沙汰にも溺れていた。そんな状態で就職関連の時期を迎え、当時の恋人のこともあり精神を病み、少し病院やお薬に世話になることに。そんなこんなで就職(試験)もうまくいかず一年卒業を伸ばし、今に至る。

 以上のように、大学生活後半は自分の理想との乖離に苦しみながらも、なかなか泥沼から抜けられないというなんとも陰鬱な暮らしを送っていました。

 

 就活からも解放され、卒論だけになると負担は減り、新しいオタク趣味が見つかりそちらに没頭し明るく、よく言えば開き直ってきた自分。しかしそれは過去の自分を受け入れたわけではなく、ただ逃避をしていただけで、勉学に人並み以上に励まなかった自分をこの試問の日にまた再認識することになった。

 

 こんな不出来な学生にも優しく指導してくれる先生に申し訳なくて申し訳なくて。

 

 自分は何故理想を完遂できなかったのだろう。

 

 そもそも勉強好きではないんだろうなぁというのは最近よく思う。あくまで自分を輝かせる手段、快楽を得る手段が昔は勉強だった。

 一旦他の快楽によそ見して勉強を放棄すると、やってないから思うような快楽が得られず勉強が楽しくなくなるよね。

 

 そう、快か不快かで行動を判断してしまっている。そういう自分に大学生活の5年間は振り回されてきた。大学生は財力を持った幼稚園児と言われているのをどこかで見たことがあるが、まさにそれだなぁと思う。

 卒業の間近になってこんなことを言うぐらいには”現状のぬるま湯”に浸って過ごしてしまった自分。これから何か変えることはできるだろうか。変わっていけるだろうか。自分に厳しくなりたい。これは現状最も大切な課題でしょう。

 

 ブログなり何なりで見つめなおす場って、必要だね。ということで続けられそうなら続けよう、ブログ。