口頭試問を終えて
諮問と思ってたけど、試問なんだね…ああ
先ほど卒業論文の試問を終えてきた。ムラはあるけど3年間まるまるやってた卒論テーマとようやくお別れ。正直飽きていた。しかし自分が専念できそうなテーマがそれしかなかったから、変更もせずに消化試合のようにダラダラと続けてやっと完成させた。完成と呼べるのかも自分としては怪しいが、破綻した内容でもないのである程度認められたものになった(と信じたい)。
質問されたこと、言われたこと
・自分の論文のこれは優れている、是非見て欲しいと言える点
・教員養成についての研究が少ないのはなぜ
・例えばアメリカはPISAの結果なんて気にしてないけど、そういうギャップはどこから来るの
「アメリカは知的な人だけが知的なことしてりゃいいんだよってとこあるよね」
・自分の持つ学力観(教育関連の卒論なので
・学力低下のファクターを一つに求めすぎなのでは
・州の権力の低下がよく言われているけど、どうなの
・個々の章の有機的関連が薄いね
ざっと以上のようなことを言われながらしどろもどろに答えていたらあっという間の30分でした。もう少し別のところを聞いて欲しかったんだけどなぁ。
「こんなものか…」と思いつつ部屋を出てその付近でコートを着込んでいたら、3年間お世話になったゼミの教授がこちらに駆け寄ってきた。「卒業式に来られないから、なかなか会う機会はないと思いますが、お元気で。今のご時世メールでいつでも繋がれますから、何かあったら連絡をください」というようなことをおっしゃってくださった。自分は「優しく指導してくださってありがとうございます…こんなメンタルボロボロのやつに…」などと言ったなんとも情けないお返事と深い礼しかできなかった。いろいろなことが頭を駆け巡ったけれども、言う必要もないし。しかしその”いろいろ”は案外深かったらしく、教授が慌ててまた試問の部屋へ帰っていた後はぐ、っと涙がこみ上げてきた。
ここで一つバックグランドを語っておく。高校時代は大学での勉学に夢見て、あわよくば研究者になれるぐらいに勉強したいと思い一心にガリ勉をして、見事今の大学に合格。しかし大学とは魔窟であり(選択してしまった環境、コミュニティが良くなかった場合)、見事な世に言う自堕落大学生になってしまった(自分基準なので、底辺ではない)。勉学への励みへはムラがあり、継続してやっていたことなんてない。爛れた色恋沙汰にも溺れていた。そんな状態で就職関連の時期を迎え、当時の恋人のこともあり精神を病み、少し病院やお薬に世話になることに。そんなこんなで就職(試験)もうまくいかず一年卒業を伸ばし、今に至る。
以上のように、大学生活後半は自分の理想との乖離に苦しみながらも、なかなか泥沼から抜けられないというなんとも陰鬱な暮らしを送っていました。
就活からも解放され、卒論だけになると負担は減り、新しいオタク趣味が見つかりそちらに没頭し明るく、よく言えば開き直ってきた自分。しかしそれは過去の自分を受け入れたわけではなく、ただ逃避をしていただけで、勉学に人並み以上に励まなかった自分をこの試問の日にまた再認識することになった。
こんな不出来な学生にも優しく指導してくれる先生に申し訳なくて申し訳なくて。
自分は何故理想を完遂できなかったのだろう。
そもそも勉強好きではないんだろうなぁというのは最近よく思う。あくまで自分を輝かせる手段、快楽を得る手段が昔は勉強だった。
一旦他の快楽によそ見して勉強を放棄すると、やってないから思うような快楽が得られず勉強が楽しくなくなるよね。
そう、快か不快かで行動を判断してしまっている。そういう自分に大学生活の5年間は振り回されてきた。大学生は財力を持った幼稚園児と言われているのをどこかで見たことがあるが、まさにそれだなぁと思う。
卒業の間近になってこんなことを言うぐらいには”現状のぬるま湯”に浸って過ごしてしまった自分。これから何か変えることはできるだろうか。変わっていけるだろうか。自分に厳しくなりたい。これは現状最も大切な課題でしょう。
ブログなり何なりで見つめなおす場って、必要だね。ということで続けられそうなら続けよう、ブログ。